紀元527年、筑紫国(現在の福岡県)、豊国(現在の福岡県東部、大分県)、肥国(現在の佐賀県、長崎県、熊本県)を治めていた豪族、筑紫君磐井(いわい)は、当時すでに成立していたヤマト政権、継体天皇による新羅(現在の韓国の一部)への出兵に反対し、北部九州の勢力をまとめて反乱を起こし、近江毛野(おうみのけの)による遠征軍の渡海をさえぎるという行動に出ました。
磐井は翌年、ヤマト政権から派遣された物部麁鹿火(もののべのあらかび)と筑紫の御井郡で激戦の末、倒されました。これが「磐井の乱」という歴史上の事件として記述されているものです。
地理的に近く、独自の外交ルートを持って朝鮮半島の事情に明るかった磐井は、新羅の応援をする方が得策と考えたのでしょう。外交政策に関して、どちらが正しかったかは、後の白村江(はくすきのえ)の戦い(紀元663年)でのヤマト政権の敗戦が示しているのかもしれません。
「磐井の邑」は、この磐井の墳墓とされている岩戸山古墳のある福岡県八女市一帯のことを指しています。
なお、磐井が、ヤマト政権から見れば反逆者であるにもかかわらず、「国造(くにのみやつこ)」や「君」と名乗っていること、岩戸山古墳が反逆者に似つかわしくない壮大な前方後円墳であることから、様々な議論を呼んでいます。
蜂みつは中国で三千年前から不老長寿の妙薬として珍重されており、日本書紀にも「百済の太子が大和の三輪山蜜蜂をはなった…」と記されています。筑紫の君「磐井」は大和の国から蜜蜂を連れて帰り肥沃な磐井の邑の大地に放ちました。そうして採れた蜂みつは特権階級のみならず広く一般の人々に当時の貴重な糖源、栄養源として分け与えられました。大和朝廷に対抗して国造りを進めたエネルギー、壮大な岩戸山古墳を造りあげたパワーの源の一つは蜂みつであったろうと思われます。
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福岡県筑後地方で、数年前かられんげを田んぼにすきこんでのお米つくりで村おこしが始まりました。れんげ畑の復活により、またおいしい純国産のれんげ蜜が採れるようになりました。
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5月になると山川町の山は真っ白なみかんの花で埋めつくされ、ほのかな花の香りがまちをつつんでいきます。総延長が48.5kmにもなる「山川オレンジロード」は収穫時期になると一面オレンジ色がまぶしいほどに輝きます。



